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etunankaraへ行って、いろいろ考えたこと(長い)。

あれから一週間が経ってしまいました。あっちゅー間です。健ちゃんブログはetunankaraライブの後、まったく更新されず(笑)。うちのパソのせいかと何度もリロードしたけどやはり更新されず(笑)。もう二人とも、「終わったあああああ」とほーっとしているのか、それともまた何か別のことが始まっているのか。どちらにしろ大変お疲れ様でした。前日の東京駅ライブですでに、わくわく感に満ち溢れている様子の二人でしたので、それがetunankaraでいい感じで弾けて、今、ぼんやりしてるんじゃないかなと思ってしまうのは、私自身がぼんやりしているからかも。実は忙しい日々なのかもしれないけれども。

そんな私はすっかりライブの細かいところは忘れてしまいました(おい)。一番覚えているのは、健さんが頑張ってMCしているのを、にや~っと見ている大さんの笑顔です。それだけは今でも、鮮明に思い出せます。何がそんなに嬉しいんだ!?と突っ込んでくれと言わんばかりの素敵な笑顔でした(笑)。本当に、楽しくってしょうがなかったらしい。そしてその後、お決まりのように健さんが「おまえ、何にやついてるんだ」ってツッコミを入れるんです。オーディエンスの気持ちを代弁するかのように(笑)。少なくとも二回くらい、同じようなやりとりがありました。

そのやりとりを見ていて、K.Dにハマったきっかけのひとつであるネットラジオの中で聴いた話を思い出しました。

健ちゃんが運転免許を取得した後、こっそりお母さんの車を運転したものの、車庫入れに失敗して車を門扉にぶつけたら、ベランダ(だったかな?)から大くんの「やったあ~!」という叫び声が聞こえて来た。どうやらずっと(何かしでかすんじゃない~?と思いながら)見ていたらしい。

というくだり。

それから、昨年のやまもとこーじの大阪でのBDイベントでの、あること(FC会員限定イベントでの出来事はブログなどで書いては駄目なので詳しくは書けません)。その、詳しくは書けないことってのは、大くんのとある大ボケに、健ちゃんがドラムに顔を突っ伏せて声を殺して大笑いしていたというものです(……書いとるがな)。中央にいるやまもとこーじは、一瞬和んだその場の空気を軌道修正するために、司会進行的な話を始めて、会場の人たちは皆、そのやまもとこーじに注目していたんですけれども、なんだか私はその健ちゃんの大笑いしている姿が未だに忘れられずに、ずーっと脳裏に残っているんですよね。そのとき、「この二人はいっつもこんな感じなんだなぁ」としみじみと思ってしまったのです。ずっとこんな風に過ごして来たし、これからも変わらないんだろうなぁ、と。その大笑いする姿の中に、単に大ボケをかました人を面白がっているだけではない、長い時間と深く血の通った、本来なら目に見えないはずの繋がりを感じてしまったのです。

TOM'Sサンドイッチでのライブのときにも、それから他のライブのときにも「ずーっと一緒だよね、もうずーっと」と半分呆れているようにも聞こえることを何度もお互いが呟いているんですが、その言葉の奥に、「でもこれからもやっぱり一緒なんだろうね」という、否定的ではない、だけど、だからと言って肯定しているわけでもない、それが決して特別なことではなく「当たり前」なんだということを暗に含んだ空気を感じました。彼らに自覚はなくても、「二人いっしょであること」がマイナスであるわけがなく、だからといってプラスでもなく、そこがゼロの地点であるということです。なんつーかこう……、わかっていただけるでしょうか(笑)。

私、ここで詳しくは書けないのですが、文章書きやってます。こんな下手くそな文章でか! と思われるかもしれませんが、創作の文章書きなので、レポの下手くそさはお許しください(ひどいいいわけ……)。文章は一人で書いていますが、同じくモノを作ってる友人と話していると、一人で作っているとある地点でどうしても止まってしまうものが、二人いると相乗効果でどんどん進んで膨らんで行くことに感動してしまいます。それって、決してそのもう一人からネタを一方的に与えられているのではなく、もう一人から“引き出されている”って感じなのです。紐つけて自分の奥底にあるものを、ずーるずーる引き上げてもらっている感じ(表現へたくそだな!)。短大の国語概論って授業だったかなー。ブレーン・ストーミングという言葉を教えて貰ったことがあるんですが、それかもしれない。本来のブレーン・ストーミングとは違うのかもしれませんが。
K.D二人が、その“相乗効果”を感じているか自覚しているか知りませんし、そして出来上がった作品を聴いているだけでは、どんな風にお互いが影響しあって作り上げたのか、鑑賞者の私の立場ではわかりませんけれども、私が一人で活動している人よりも、グループで活動している人の方が好きになることが多いという理由のひとつに、「その人個人の魅力に加えて、それぞれの人間関係で生まれてくるものとで両方楽しめる」ということがあることを思うと、私のこの勝手な想像もあながち嘘でないんでないかい? と思ったりするわけです。

確か健ちゃんが今回のライブのMCで言った覚えがあるものの、かなり記憶が曖昧なので思い違いだったら申し訳ないんですけれども、「自分たちは音楽という方法を選んだけれども、言いたいこと(大切なもの?)はその先にあるもの」だったかなー。感銘したくせにまったく覚えてないんですが、要約するとそんな意味のことを言っていた記憶があります。私は音楽に関することがまったく綺麗さっぱりわからなくて、じゃあK.Dのどこに惚れたの? というのが今までよくわかんなかったのですが、要するに音楽という手法を用いてはいるけれども、結局はその奥にあるテーマ(主題)に感銘を受けているんでしょうねきっと。K.D source Summit 2で健ちゃんが「詞の方が重要な気がしてきた」「何が言いたいかってことの方が重要に思えて来た」って言っていたんですけれども、それはイコール、「テーマが重要」ってことなのだろうと思います。テーマ=何を言いたいのか、ということです。それを伝える手法が、彼らにとって音楽であり、私にとって小説であるということなんですよね。彼らと私じゃあ、キャリアとか実績に差がありすぎるんですけれども、それについてはお許し下さい(笑)。

まぁそんな感じで、最近ずーっと、テーマとか表現手法とか、相乗効果とかについてのことを、K.Dに関係ないところで考えていたら、謀ったかのようにK.Dがそんな話をしたり、好例を見せてくれて、それが何だか面白いです。関係ないはずのものがいきなり結びつくとびっくりしますね。関係ないはずのものは、私というもので繋がっているから、その時点で関係あるものになっているわけですが、それでもやっぱりびっくりします。最近では、キキコミっていうネットドラマでやまもとこーじがおかしな詩人をやっていたり(しかもあいだみつおのパクリって)、スイートJAMで佐野元春さんがポエトリー・リーディングってのをやってるって知って、「わぁお」という思いでした(ココはむっちゃ独り言)。

そんなわけで、“etunankara(アイヌ語で「出逢い」)”はアルバムのテーマでありながら、彼ら自身のテーマであると改めて思ったわけですが、決して集大成的なテーマではなく、どこか始まりを感じさせました。“出逢い”という言葉の意味がそうさせるだけでなく、今までCD化されてきたものの中でもとりわけ、詞の内容がストレートであるような印象を受けたのです。何かが彼らの中で確立したんじゃないだろうかと思いました。「奇跡のHANA」の冒頭の歌詞を読んでも、それだけはっきりと“ポジティブであれ”と促すことを書くのは、自分自身がそうでないと書けないと思うんですよね。今でこそ私は、ハッピーエンドを書けるようになりましたが、昔、絶対に書けなかったのは、この世にハッピーエンディングなんかあり得ないと思っていたからで、自分がそうと信じていないものは、例えニーズとしてあっても書くことなんか(私には)出来ません。そこで迷ってうだうだしていたところから一歩抜け出したら、そこからがまた新しいステージ(段階)での始まりで、彼らにとっても「俺たちはこれで行くから」という何かがあったんだろうな、とファン暦の浅い私ですが思ったりしました。まぁでも、個人的な好みでは、抽象的な歌詞も歌って欲しいんですけど(笑)。

なんちゅーか……。偉そうなことをだらだらと書いてますが、もちろん「健ちゃんかっくいー」とか「大くんかわいいー」(これは……、いいのか?)とかミーハーな気持ちもありますけどね。だってK.Dはアイドルやもん!(最近ある場所でこれを叫んだのですが、改めて名言だと思った……)。

それにしても我ながら、テーマがはっきりしない文章を書いてるなぁ。

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